3.11と桜の花と愛情と
2016/03/10

私の家の玄関の前には
何故か桜の木があります。
昔からあった訳ではなく、
ちょうど東日本大震災の翌年から、花を咲かせるようになったんです。
よく小学校とかにある大きな桜の木じゃないんですけど、
桜の花が散った後に、サクランボみたいな実がなるんです。
しかも不思議な事に、
必ず「春」に咲く訳じゃなくて、少し遅い時期に咲きだして、
初夏のあたりまで、咲いています。
その桜の花を見るたびに私は乳母を思い出します。
3.11と私の乳母の事
私の家族は、私が小さかった頃は父の仕事の都合があって、
母と姉、私と父と乳母という感じで離れて暮らしていました。
なので、私にとっては乳母が母みたいな感じでした。
乳母はすごく優しくて、怒る事なんてほとんどありませんでした。
私は乳母が大好きです。
乳母は満州生まれのハワイ+岩手育ちです。
乳母の過去なんてどうでも良いので、
よくわからないんですが、家族みんなで出稼ぎに来て、
父の会社にいるようになったらしいです。
私の父も早くに両親を亡くしたので、
乳母と乳母のご主人さんを自分の親のように大切にしていました。
乳母は英語も中国語も韓国語も話せるので、
父が海外に行くときは、
私と、父と、乳母と3人で行きました。
私は小さかった頃、とても強い子だったので、
よくお友達を泣かしては父に怒られていました。
父に怒られて私が泣くと、
乳母は私の大好きなドーナツを作って、
お散歩に連れて行ってくれました。
道や野原や河原に咲くお花を観ながら、
話してくれたお話しを私は今でも覚えています。
「お花をよく観てみて。。。
お花って、必ずあっぱ(乳母は自分をそう呼んでいた)達をみてない?
タンポポさんは上を向いてるね。桜は上から下にいるあっぱ達をみているわね。
何だか話しかけられているみたいでしょ?
悲しいときは「大丈夫?」って、
幸せな時は「良かったね!」って、いってるみたいじゃない?
でも、どんな時もお花は咲いてくれているわね。
キレイだけど、とっても優しくて強いって思わない?
人間のOHANA(ハワイ語で家族)だってそうなのよ。
憎いからパパは怒る訳じゃないのよ。
だから、帰ったらパパに「ごめんね。」って言ってごらん。
絶対に優しく「いいよ。」って、仲直りしてくれるから。
あっぱも一緒に「ごめんね。」って言ってあげる。」
家に帰って、乳母の言う通りにすると、
必ず乳母の言う通りになりました。
3.11の日、たまたま乳母は青森の三沢に住んでいる
乳母の姉のところにお見舞いに行っていて震災にあいました。
三沢のあたりは、被害が大きくなかったのですが、
それでも、足の悪い姉の事を思い、
被災地の病院なんかを転々としている最中に、
乳母は肺炎になってしまい、治療が十分に受けられずに、
合併症を起こして亡くなってしまいました。
震災直後だったので、十分に連絡がつかなくて、
私達がその事を知らされたのが3・20近かったと思います。
すぐにそばに行きたかったけど、
青森まで行くには、あまりにも遠くて行くことができませんでした。
夏になり、乳母の遺骨と、少しの遺品が届きました。
遺品の中に、私が4歳の時に乳母にあげた肩もみ券があって、
私はいっぱい泣きました。
約1年経ち、玄関に小さな木が生えてきて、
何故かその年(震災の翌年)は、秋に桜が咲いたんです。
「どんなに悲しくても、どんなに辛くても、
お花みたいにみんなに優しくしてね。」
そんな風に乳母が言っているように私には思えます。
被災して、たくさんの人たちが今も故郷に帰れないでいます。
さすがに私は町の復興はできないけど、
故郷に帰るまで、辛い気持ちを乗り越える勇気とか、
いい思い出とかを創るお手伝いができます。
行き場のない気持ちに押しつぶされそうなら、
どうぞOHANAカフェにきてください。
何かを創ったり、
ただつらい記憶を話すだけでも構いません。
私は大歓迎です!
どうかみなさんが1日も早く帰れること、
乳母の分まで幸せになる事を願っています。